Canon Demi EE17 - 完全マニュアルで撮影できるハーフカメラを初心者にも推したい
フィルムカメラが好きで4年くらい趣味で撮影しています。
PENTAX17もいろいろな期待があり予約をしていましたが、発売日になって販売店から入荷日未定のお知らせが来たので、自分は手持ちのハーフカメラで満足しているので、こっちで行こうと腹をくくりました(ご縁があれば買いたいですけどね)。
使っているのが、Canon Demi EE17というカメラです。
スペックをまず簡単に説明すると、
- 35mmフィルム、ハーフカメラ
- 露出オート(多くの個体は露出計が壊れているので使用できない)
- シャッター速度・絞りともマニュアル撮影可能
- 目測のマニュアルフォーカス
- レンズは30mm F1.7
- シャッタースピードは1/500~1/8秒
細かい情報は公式をご確認ください。
とりあえず、先に作例を見ませんか?
作例(2枚1組)
作例(1枚切り出し)
F値1.7のレンズでマニュアルで撮影できるということ
このカメラはレンズもf1.7とかなり明るく、これが撮影の自由度を上げてくれているなと感じます。シャッタースピードも1/500まで出るのは心強い。
ボケ感のある奥行きのある写真も撮れますし、日が落ちてきていても気合!!でシャッタースピードを落とせば、夜景や暗めの室内でもちゃーんと写るんですよね。
いつ、どんなときも、なにをとっても、魅力的に写れるように。なんというか撮りたいものを撮れるように"粘れる"カメラとしての底力が強いなと思ってます。
あとは個人的な感覚ですが、この明るいレンズは捉える光はとても繊細で、豊か。その時感じた光をときにキラキラと、眩しくも、柔らかくも映し出してくれます。
目測のマニュアルフォーカスはむしろ手軽?
メートルでのメモリはついていますが、このカメラは目測でピンと調整しなければなりません。夢中で取っていると、ピントを合わせ忘れることもしばしば。
でもピントを外したちょっとボケた写真もちゃんと愛おしい。
バチーン!とピントが合った時には、ハーフカメラにもかかわらず驚くほどの表現力を見せつけてくれる、お気に入りのカメラです。
完璧なピント合わせができない分、ざっくり撮影していくしかないので、ピントが合わせられないこともむしろ手軽なのです。
コスパが良いのに本格はハーフカメラ
このカメラ、フィルムカメラ界隈で人気機種でもないようで、安価な価格で手に入りやすいと思っています。
撮影に支障がない範囲の難あり品が4,000円代から。
整備済品だと16,000円くらいからでしょうか。
今でもわりと多く出回っています。
私は2度メルカリで購入していて、5,300円と4,600円で購入しています。全然問題なく動作しています(一台目は落としてフィルム巻き上げがうまく行かなくなりましたが)。
この値段でこの写りが手に入るなら、ハーフカメラで倍移せるという点でもコスパ十分すぎるのでないでしょうか。
フィルムカメラの入門機としてあえてオススメしたい!
- 入手しやすくて安価に手に入る
- 状態の良い個体も多い
- 整備品までお金を出せば露出オートも
- 1枚1枚こだわって撮影するフィルム撮影の醍醐味を得られる
- 広角なのでスナップ写真にも向いてる(作例に載せてないけど)
メルカリで購入するコツですが、フィルムカメラの愛用者が「使っていましたが、出品します」というフィルムカメラの愛好家から購入するのが、高すぎない価格で、きちんと動いている個体を手に入れやすいと思っています。
このカメラは一生使いたいというくらい気に入っているので、次回買い替えることがあれば少しお金を出して露出計も動く良い個体を購入したいな〜と思います。
映画『市子』ネタバレ感想。彼女が生きてきた壮絶な過去と真実を知って、あなたはどうするんですか?
映画の『市子』を見ました。
ちなみにネタバレありの感想ですのでご了承を。
あらすじ
川辺市子(杉咲 花)は、3年間一緒に暮らしてきた恋人の長谷川義則(若葉竜也)からプロポーズを受けた翌日に、突然失踪。途⽅に暮れる⻑⾕川の元に訪れたのは、市⼦を捜しているという刑事・後藤(宇野祥平)。後藤は、⻑⾕川の⽬の前に市子の写真を差し出し「この女性は誰なのでしょうか。」と尋ねる。市子の行方を追って、昔の友人や幼馴染、高校時代の同級生…と、これまで彼女と関わりがあった人々から証言を得ていく長谷川は、かつての市子が違う名前を名乗っていたことを知る。そんな中、長谷川は部屋で一枚の写真を発見し、その裏に書かれた住所を訪ねることに。捜索を続けるうちに長谷川は、彼女が生きてきた壮絶な過去と真実を知ることになる。
感想
評価も高く、公開当時見ようかどうか迷っている間に見逃してしまった作品。
杉咲花の演技も抜群に良かったが、自分の中では高評価になりきらなかった。
抗えない女性の貧しさや困難、その果てにある過酷な運命。これを描きたいだけならば、国内外に関わらず多くの先行作品がある。
お母さんは夜職でシングルマザー、DVな男、家庭環境の悪さからか娘も倫理観も世間ずれし、ヤングケアラーで、無戸籍児童で…この手の女性の貧困と困難の物語を再生産し続ける意味はなんなんだろうと考えてしまった。
過酷な人生を歩むヒロインを救いたいという「ヒーロー願望」の加害性
この映画は、さまざまな人物の視点から多面的に市子という人物と、その過酷な運命が明らかになる構成になっている。しかし、結局これも一面で、その人が、そして映画を鑑賞するものが見出したい市子の姿でしかない、というのがこの映画がもつ批判性なのだろうか。
作中で、市子が殺害してしまったソーシャルワーカーの死体遺棄の片棒を担いだ、高校の同級生の北という男がいる。
彼は「助けたい」と失踪した市子をつけ回したが、あっさりと邪魔だと言わんばかりに拒絶された。一見、男の好意を利用しては突き放す市子の冷酷なキャラクターを描いているように見える。
しかし、北は市子の元に駆けつけた時に「俺が守る」とは行ったものの、市子が犯されそうになり、その後犯行に及ぶまでをベランダで隠れて見ており、守りたいというのも結局口だけなのだ。とりあえず現場に突っ込めば、ソーシャルワーカーも逃げ出したかもしれないのに……と思わずにいられなかった。
彼は「俺がヒーローになる想像をしてたし」とも言っていたが、これこそ彼の「ヒーロー願望」を表す象徴的なセリフで、可哀想な女を救ってあげたい、ヒーローになって好かれたいという独善的な欲望を象徴するキャラクターとして描かれていたように思う。
そして彼は真相は分からないが物語の終盤で、市子に利用され…、その後の真相までは映画で描かれていない。
もちろん北だけではなく、そうした「ヒーロー願望」を持った男性キャラクターが程度の差はあれ、この映画には複数存在していた。彼らの口から語られた市子は、彼らが見出したかった「壮絶な過去を持つ」市子なのかもしれない。そして、彼女の壮絶な人生に関わりたかった。
もちろん、この映画作品自体もそういう一種の加害性を持っているように思う。
幸せな暮らしを捨ててでも、市子が手に入れたかったものとは、何者でもない自分?
では若葉竜也が演じる、市子と3年間一緒に暮らしていた恋人・長谷川はどうだろう。彼との過去回想で幸せなひとときが市子のモノローグで語られるが、これすらも本当か分からなくなってしまう。
しかし、家庭環境や過去から離れた場所で何者でもない市子として出会い、なんの脈絡もなく愛されたこと、生活をともにしたこと、これは確かに市子が本当に望んだ、なんでもない幸せだったのだろう。なにより杉咲花の演技がそれを証明してくれているように思う。
では市子はどうしてその幸せを手放してでも失踪したのだろう。
自分の罪がバレてしまうから、戸籍がなく素性がバレてしまうから?
しかし、長谷川なら知った上でも一緒にいてくれそうだ。道はいくらでもあるように思える。法律や倫理を飛び越えて守ってくれる男になってくれそうだ。でもそれではダメなのだ。
それでも逃げたのは、過去を知られてしまえば、「可哀想な」「誰かに守られる」わたしになってしまう、何より好きな人がそういうふうに変わってしまうことから逃れたかったのかもしれないと思う。
市子の母・なつみが「幸せな時間もあったのよ」とも言っていた。幸せな時間が、変わってしまうこと、その果てに自分に親切に愛を持って接していた人間が変わってしまうこと。市子はこれを何度も経験してきた。北も例外ではない。これが市子が避けたかった運命なのではないか。
しかし、現に長谷川は市子を、たとえそれが愛情だとしても、市子「助けたい」と声を荒げて、何ふり構わず行動する人に変わってしまった。
市子が望んだのは、"壮絶な過去"から切り離されて、1人の人間として生きること。もちろん、彼女は過去に相応の罪を重ねており、過去から逃れて生きることはできない。それは敵わない願いだ。
ラストの自動車の転覆事故の真相には諸説あるが、市子は、逃れられない過去から決別するために、赤の他人の戸籍となって真に別人となることを選んだのではないかと思う。
過去を知り、その人の人生に関わりたいということは加害なのかもしれない。
「今が良ければそれで良し、それなら未来はきっと明るいんやぞ〜」
一緒にケーキ屋をひらこうと誘ってくれた友だちに、市子が救われた理由も分かる気がする。